地蔵像の道標

じぞうぞうのどうひょう
地蔵像の道標この道標は北国街道を布野から来て、須坂街道(善光寺街道)と交叉する丁字路の村山地
籍にあったもの。
高さ約80㎝やや角ばった石碑の中央に線刻地蔵像がえがかれ、右に「東八北國街道ゑちご飯山」「水内郡」、左に「西八善光寺戸隠」「文化五戌辰年(1808)下方に「里村山村」と刻まれている。
また頭部あたりに「南無地蔵」と読まれる所もある。
江戸時代文化・文政期最も庶民の活気ある時期だけに旅人の往来も激しかった。
旅の安全を願う村山の人たちの情け深さが伝わってくる。


 

いきいき わがまち『やなぎはら』