なかまたのまんようかひ
「中麻奈にうきをる船のこきてなは あふことかたしけふにしあらすは」とある。
側面にこの歌は万葉集の信濃国相聞往釆歌四首のうちの一首であるとし、中俣村の村名中俣は古くに存在したと荒木田久老「漫録」に記しているという。
久老は国学者伊勢の御師である。「信濃漫録」には享和元年(1801)信濃の檀家廻りのとき中麻奈の地が問題になった。
岡田(中御所村)の小泉好平は水内郡に中俣という村あるという。
久老その地は干曲川に犀川と裾花川の流れ落ちる河股であり長股である。
今も上古に船のつなぎし木もあるし、大樹の株も残っているという。
歌碑の建設者は万葉集の研究家寺田久連松である。