やなぎはらちゅうこんひ
戦争によって殉職された柳原関係者の慰霊碑。大正10年10月柳原小学校敷地内に建立されたが昭和20年8月の敗戦により撒収、無惨にも22年5月22日壊された。
27年4月対日平和条約の発効により独立国となり、28年5月10日直ちに現在地に移転再建した。
慰霊祭は毎年遺族会中心に行っていたが近年は区長会と遺族会が共催し、柳原地区として行っている。
忠魂碑の揮毫は川村景明鹿児島県出身の明治・大正期の陸軍軍人。
元師、子爵である。
忠魂碑前の水鉢は昭和15年12月支那事変(日中戦争)記念に柳原村出征軍人家族会の寄贈によるものである。