なかまたじょうあととじょうやまいなりだいみょうじん
ここは中俣の堀組地籍。
本丸に二の丸・三の丸が接し、その周りをそれぞれ堀を廻らし、その外側の用水堰も堀になっていたという。
中俣城の由来は詳らかではないが「科野佐々礼石」によれば応永年間(1394~1427)、室町時代初め中俣刑部が居住していたという。
また「大塔物語」には応永7年(1400)中俣氏が信濃守護小笠原長秀を打つため井上左馬介光頼に従って出陣している。
本丸の南東に累代城主の守護神という城山稲荷大明神がまつられている。
今は商工業や盗難・火難・乳児の守護神として崇拝され、現社殿は昭和5年に、烏居は
平成6年3月再建。境内には「中俣城祉」標示の杭がたっている。