きんう(な)えもんたんじょうちのひ
宮沢金右衛門は天保14年(1843)小島村この地に生まれる。
幼少の頃から剣術に優れ、東都にでて山岡鉄舟の直弟子となり、鉄舟創始の無刀流を修めた。
郷里に戻ってからは道場「講武館」を開き、近郷の青年子弟200余人に剣術を教え心身の鍛練に励む。
また学制発布により明治6年巡回学校、9年からは逞義学校の教師も行う。
晩年には郡会議員、村会議員を行い明治38年3月11日62歳で亡くなる。
没後60余年過ぎて清水準治郎・宮沢弘直・草問寛之助らが中心になって門人と門人の子弟らと相談し、ここに昭和43年12月11日宮沢金右衛門誕生の地として碑を建てた。