雨乞い地蔵(首なし地蔵)

雨乞い地蔵

中俣にある石像、首がないことから「首なし地蔵」ともいう。
高さ約34㎝の立像、台石とあわせ約60㎝。「長野県町村誌」によれば「雨乞地蔵菩薩」と称し、宮北地籍の土井(分水地点の用水路)に沈め干ばつに雨降りを祈ったという。
その雨の降るわけは水中にある頭と胴とが会うから雨を恵むという。また一説には胴を沈めたり上げたりされ怒って雨が降るともいう。雨乞は昭和初期まで行ったらしいが、干ばつには夜通し田圃の水番をしていたという。大正13年の大干ばつには裾花川で八幡堰(はちまんせぎ)と鐘鋳堰(かないせぎ)の水争いがもとで、昭和11年4月困難な協議と工事によって、犀川からも用水(養水)を導入できるようになった。