地蔵像の道標(じぞうぞうのどうひょう)

この道標は、旧県道の村山と中俣境で布野からの道との丁字路にあったものである。
高さ約80㎝の角ばった石碑の中央には、線刻による地蔵像が描かれており、右側には「東ハ 北國街道 ゑちご 飯山」「水内郡」、左側には「西ハ 善光寺 戸隠」「文化五戌辰年(1808年)」、下方には「里村山村」と刻まれている。また頭部付近には「南無地蔵」と読める箇所もある。
道標が設置された江戸時代の文化・文政期は、庶民の活気が最も高まった時期であり、旅人の往来も盛んであった。
旅の安全を願う村山の人々の情け深さが、この道標からも伝わってくる。

【道標が元々設置されていた場所】

※「布野の渡し」について
「布野の渡し」は、時代の流れ、川の流れ(増水等により流れが変わる)により、いくつか場所を変えています。もう少し下流(村山橋側)にあったときもあります。
その場合、向こう岸(福島方面)から千曲川を渡ったあと、村山神社の南側に出て、そこから北國街道を長沼方面に北上したり、中道(旧県道)を善光寺方面に西走することになります。
道標が建てられたのは、北国街道や善光寺へ行くのに、布野の渡しが布野から丁字路を抜けなければならない場所にあったということになります。