神武天皇遥拝所

じんむてんのうようはいじょ
神武天皇遥拝所ここは正治元年(1199)から文禄4年(1595)勝善寺跡地という。
寺田久連松が明治天皇こ巡幸を期に神武天皇を慕い、土地を捉供し遥拝所の建設を発願する。
信徒80余人の同意を得て世話人に会津文治郎・辰野沖右衛門・大和栄十郎・小林源右衛門を挙げ建設。
長野県令楢崎寛直に請願、内務省に上申し明治12年2月5日許可される。
完成は翌年4月3日、控所も設け毎年4月3日神武天皇祭には村民1日休み奉祀していた。
今の建物は昭和56年9月6日建替えて屋根の千木が社を感じさせ、神武天皇の畝傍山御陵に向いているという。
なかに長野県令大野誠の額がある。
控所の跡地は中俣区南公民館になっている。

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